那覇空港に降り立つ

数十年前、私は友人の誘いで沖縄を旅したことがある。東京で自由を謳歌していた自分は、リゾート気分で誘いに飛びついた。友人との待合せ場所は「ひめゆりの塔」だった。高校の日本史で太平洋戦争で沖縄がどんな悲劇を迎えたのか。また、ひめゆりの塔にまつわる悲劇も知っていたつもりだった。
 
私は那覇空港に降り立つと、友人との約束の時間が迫っていたのでタクシーを拾った。運転者はミラーに移った私の顔を覗き込んで「お客さん、東京の人だよね」と尋ねてきた。私が「そうです」と答えると、突然、彼は米国による沖縄戦について詳細に語り始めた。
 
彼はハンドルを巧みに操りながら、数多くの惨劇を私に教え込もうとしていた。彼は「東京の人。特に若い人には沖縄の惨劇を忘れないで欲しい。僕はお客さんに嫌われても必ず話しているんです」と、不機嫌になった私に言葉をかけた。
 
今考えれば、不機嫌になった私こそ、彼に恥ずべき行為をしたと強く反省している。それ以後、私は広島や長崎を仕事で訪れるたび、原爆資料館に足を運ぶようにした。
 
by手嶋純